酸素―水錯体の平衡定数の温度依存性
 
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大気環境科学への分子科学からの挑戦
  地球大気は、N2やO2がそのほとんどを占めています。温暖化に対してCO2が重要なことはよく知られています。大気の物理化学的性質の多くは、CO2など微量成分が担っています。N2やO2はそれ自身では赤外不活性ですが、錯体を作ると赤外活性となるため地球熱収支に影響すると疑われています。またO2-H2Oなどは、大気の光化学を考える上で大切な化学種とされています。したがってこれらの微量成分の存在量を精密に見積もることは、現在の大気の性質を知り、未来の大気の化学を予測する上で非常に重要です。大切なことは、正確な存在量予測の方法を開発することでした。私たちは、実験室での回転スペクトルからはC2v対称とされ、通常の量子化学ではCsとなって構造さえ議論の多かったO2-H2Oをプロトタイプに、この課題に取り組みました。
計算手続きの開発、ポテンシャル面
  開発した計算手続きは(1)回転定数に基づく候補構造の絞込み、(2)大域的ポテンシャル面の高精度計算、(3)多次元非調和振動解析、(4)分子統計力学理論による分配関数、平衡定数の計算からなり、(2)にはMOLPROを用い、他のプログラムはこの研究で作成しました。左図は、錯体の面内内部回転に関するポテンシャル面の概要です。Cs構造(A1-4)は非常に浅いポテンシャルミニマムで、C2v構造(B1,B2)は、非常に低い遷移構造です。
実験と過去の計算の矛盾を解く
  このポテンシャルを元に精密に分子の振動状態を調べたところ、低い障壁のポテンシャル面を反映した振動エネルギー準位のトンネル分裂が見つかりました。また、振動波動関数はC2vの対象性で帰属でき、最新の実験と過去の計算の矛盾を解決しました
計算手法を進歩させる
  錯体の存在量の見積もりには、大気温度全般にわたる平衡定数が必要です。これは分配関数を元に計算されます。従来、振動分配関数の計算に、分子間振動準位を正確に見積もれない、錯体の解離が考慮できないといった欠陥のある調和振動子近似が用いられていました。私たちは、精密な振動準位を求め、また解離エネルギー以下の準位のみを用いる方法で、これらの問題を解決しました。
大気化学に貢献する
  左図の中で赤で示した我々の精密計算による平衡定数(Kp)は、従来の値より300Kで約2桁小さいですが、唯一温度上昇に伴うKpの単調減少の性質が得られています。右の図は、Kpを元に見積もった中緯度地域での錯体の存在量(体積混合比)の高度依存性です。地表面から対流圏(0-10km程度)で急速に減少し、それ以上の高度(成層圏)で緩やかに減少します。Kpの値の違いを反映して、これまでの見積もりよりいずれの高度でも1-2桁小さくなっています。しかし高度依存性は定性的にこれまでの予想と似ています。これは存在量は、対流圏では水の分圧の減少が、成層圏では全圧の減少がそれぞれKpの温度変化による減少を上回るからであることも解りました。つまり、錯体の高度分布の支配因子が何かが明らかになりました。現在では、地球規模でどのように錯体が分布しているかを調べ、中緯度海域で多く、南極域では少ないことなどがわかっています。我々の基礎研究が、今後も様々な観点でのシミュレーションに役立てられると期待されます。
参考文献

Theoretical Study of O2-H2O; Potential Surface, Molecular Vibrations and Equilibrium Constant at Atmospheric Temperatures
Akiyoshi Sabu, Satomi Kondo, Ryo Saito, Yasuko Kasai, Kenro Hashimoto
J.Phys. Chem. A, 109(2005), 1836-1842.

Potential energy surface and intermolecular vibrations of O2-H2O
Akiyoshi Sabu, Satomi Kondo, Nobuaki Miura, Kenro Hashimoto
Chem.Phys.Lett. 391(2004), 101-105.